人生稽古

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「人生稽古」では、
京都の禅と陶芸の伝承者が、
師として稽古をつけます。

京都市右京区にある妙心寺春光院の住職・川上全龍および京都府宇治市にある窯元・朝日焼、十六世松林豊斎を、人生の師とする機会を用意してお待ちしています。

稽古は「古〈いにしえ〉を稽〈かんが〉える」と読みます。つまり物事を学ぶこと、芸事や技術を磨くこと、これらはすべて、先人がどのように極めたかに思いを馳せることに始まるのです。京都の文化は、伝承者が古きに学び、それぞれに今を表現し続けた結果として、現代にあるのです。

伝承者には師とする人がいます。師は、ただ知識や技術を授ける人ではありません。自らも稽古をし、今を表現し続ける、一介の求道者です。したがって、師が稽古をつける時間と、受け入れる人は限られています。稽古には、互いに共鳴し、心を通い合わせることが必要だからです。

人生稽古は、坐禅と陶芸からなります。京都市右京区にある妙心寺春光院の住職・川上全龍による坐禅は、「自分の在り方を手放す」というものです。社会の日常を生きていると、自分の在り方は、仕事や立場、さらに自分の持つ知識や価値観に縛られています。坐禅では、呼吸、心臓の鼓動、体温などの身体感覚をあるがままに感じます。そのプロセスを通し、思い込みを捨て、自らを、そして他をあるがままに受け入れること。それが坐禅の本質です。

続く陶芸では、自分の在り方をつくります。古くから陶芸の文化を育んできた京都・宇治市にある窯元・朝日焼にて、十六世松林豊斎による指導のもとに行います。土と器は、私たちの文明の根幹を成すものです。古くから陶芸家は、土の中にある美を求め、土を掘り、成形し、焼くという作業を繰り返し、技を磨いてきました。失敗の原因を追求する論理的思考と、美しさを理解する情緒的感覚を駆使すること。陶芸家は頭、心、体を駆使し、自然の美を文化の美へと昇華するのです。彼らの技は、受け継がれてきたプロセスへの信頼を大切にすることで成り立っています。稽古ではそれらの哲学から学び、自分で轆轤(ろくろ)をまわし、自分の在り方をつくることを実践します。

人生稽古は、京都の文化の伝承者に師事する機会のみを提供します。
そこから先は、学ぶ人次第です。
本当の、文化人の稽古がここにあります。

自分を手放し、すべてを感じる。

坐禅では、自分の境界線を拡げていく。
少しずつ、少しずつ、自分の感覚を床や、
庭の石へと投影していく。

風にゆれる木々のざわめきを聞いて、
自分が風になる。

雨の落ちる音を聞いて、
自分が水になる。

そのとき、自分の境界線が曖昧になる。
個の感覚が溶け、自分を全の一部であり、
全は自分の一部であると感じる。

そうして、
「自分とは、とは一体何なのか?」という問いに、
静かに向き合っていく。

「坐禅とは、
言葉を捨てるトレーニングなのです」

人間は、思考する動物です。
わたしたちは思考することで、世界を知り、自らを理解します。

そして人間は、言葉によって思考し、物事を理解します。
つまり現代社会は言葉によって概念化された世界なのです。

しかしそれは、言葉によって都合よく分けられた世界観や自己であり、
ときにひとは不具合を感じます。

この言葉による思考と理解を捨てようとする営みが、禅です。

そのために行う坐禅では、
言葉を捨て、世界と自分をありのままに経験するとはどういうことかを
自分の身体で実践します。

―― 妙心寺春光院 住職・川上全龍

――美とは物が理想の如くに実現する場合に感ぜらるるのである。
理想の如く実現するというのは物が自然の本性を発揮する謂である。
それで花が花の本性を現じたる時最も美なるが如く、
人間が人間の本性を現じた時は美の頂上に達するのである。
善は即ち美である。

西田幾多郎著『善の研究』より

「うまくつくる」のではなく、
善く在るためにつくる

人生稽古の陶芸は、上手さではなく、善さを求める。

土は、扱い方次第で良くも悪くもなる。
しかし、土は何もしない。
そう仕向けているのは、自分そのものだ。

陶芸を通し、いまの自分と向き合い、
いまという時間を感じる。

そうして自分の善い在り方を見つけ、
形にしていく。

「伝統とは何かと聞かれたとき、
私は“預かりもの”だと
答えるようにしています」

たとえば、焼き物を支えるのは、その土地にある土です。
私たち職人は、土そのものに、
美しさのようなものが宿っていると考えています。

その美しさをどのように引き出していくか、
そのためにはどのように土と向き合えばいいのかを考え続けています。

そして、土を掘り、土を粘土に精製し、かたちをつくり、焼く、
というプロセスを繰り返し、朝日焼らしい向き合い方を
身体を通して体得していくことを実践しています。

土地と土、焼き物をつくる技法、窯、そのすべてが、
先祖からの預かりものであり、
これまですべての後継者がやってきたことを自分も実践すること。
それが私の仕事であり、表現です。

―― 朝日焼 十六世松林豊斎

――科学が日進月歩している現在、
これに反比例した伝統はただ昔から伝わったものを
黙々と子供や孫達に伝えていく、
これが伝統であるという人があるが、
自分はそれは違うと思う。
伝統とはもちろんそうであるに違いないが、
先代のできなかったことをより努力して
自分のカラーをその伝統の中に組み入れ、
そして伝えていくことである。

文 松林美戸子
写真 柴田秋介『朝日焼 ― 土は生きている』より

Mentors

川上全龍

川上 全龍

臨済宗妙心寺派本山塔頭 春光院 住職

米・アリゾナ州立大学で宗教学を学んだ後、宮城県の瑞巌寺にて修行を行う。2007年より春光院副住職、2022年からは同院の住職。国内外の大学、企業、学会やイベント(イートン校、MIT〈マサチューセッツ工科大学〉、ブラウン大学)などに坐禅と禅哲学やその他の東洋思想や観想法、様々な文化や宗教や時代における「自己」の多様性に関する講義やワークショップを行う。

松林 豊斎

松林 豊斎

朝日焼十六世

2016年に朝日焼十六世豊斎を襲名。朝日焼の根底にある「綺麗寂び」という茶人小堀遠州の美意識を基に、茶道具としての茶盌や茶入、水指、花入などを中心に朝日焼伝統の鹿背、紅鹿背をはじめ、十六世としての作風であり現代的な雰囲気をもつ月白釉流しの作品制作を行っている。

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